平野実成による、創作サイトです。
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オリジナルキャラクターの
「風紀くん」を描いてます。
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行事予定を更新しました 2024/01/11
私はずっと一人っ子として育てられてきました。
しかし成人式の日に振り袖を着ている時に母から言われたんです。
「あなたには4つ歳の離れた弟がいたのよ。」
最初なんの話だか飲み込めませんでした。
そして母は少しずつ話してくれました。
産まれて来る前に亡くなってしまった弟のこと。
それまで私は母に「お姉ちゃん」と呼ばれていました。
その事に対して私は
「アンタのお姉ちゃんじゃないよ!」
と、茶化して生きていました。
それは、本当は弟がいたから私のことをお姉ちゃんと呼んでいたのです。
それからです。
私が絵を描こうと思い立ったのは。
なので私は絵を描き出したのは二十歳過ぎてからです。
この世に弟が、
いえ、一人の人間が居たことを残してあげたくて。
そして、その時は弟をキャラクターとして出すのが恥ずかしかったのもあり、他の女の子や男の子を起用した漫画を描き出しました。でもある程度キャラクターが出てきた時に、
「私達の世界(現世)では、生きていけなかったけどもしかしたら2次元の世界だったら生きていけるかも知れない」
と、思ったのです。
そんなことから、
私が二十歳の時に私に認知されたので
4つ下と言うと高校一年生くらい、なのでⅠの学年章を
私が学ランフェチなので学ランを着てもらい、
死んでからも再生して欲しいとゆう願いから顔はプラナリア似の目を、
いつも笑って友達の中心にいて欲しいと思い、
口角は上がりぎみに、
髪型は目を強調したかったので長めのM字バングに、
肝心の名前はというと、この世に産まれることなく亡くなってしまったので名前が在りませんでした。
なので私のキャラクター達が学生ということもあり、役職名から風紀委員会から「風紀くん」になりました。
そんなこんなで風紀くんが誕生します。
そうして弟はキャラクターとなり漫画を描いていたときです。
私の母が亡くなりました。俗に言う突然死でした。
人は死んでしまうと無惨なもので、悲しむ間もなくあれよあれよという間にお葬式になってました。
そんなときです。二人の男の子がお葬式にやって来ました。
風紀くんと健司くんでした。
何を言っているんだと思いますよね。
創作キャラクターが作者の母の葬式に来るなんて。
でも実際この目で見たんです。そして風紀くんはこう言いました。
「この度は御愁傷様でした。」
それもちょっと嬉しそうに。そうですよね。私の母は風紀くんの母でもあって、そして風紀くんは既に死んでいる。そう。母が死んで自分と同じ世界に来てくれて嬉しいんです。
健司くんは話を聞いてみるとどうやら風紀くんの付き添いらしい。
そっかそっか。
私はそれからふとしたときに風紀くんが目視出来るようになっていました。
でも私はこの見えているものが妄想と分かっていました。
分かってはいたはずだったのに。話し掛けてくるんです。他愛もない話です。今日の晩御飯は?とか、お仕事お疲れ様でした。とか。
そして、母の葬儀から3ヶ月がたった頃私は友達に電話でとある自慢をしました。
「最近友達ができたんだ。今は私の布団でゴロゴロしてるけど。」
友達。そうです。風紀くんです。もうその時には
常日頃から姿が見え、声も聴こえる様になっていました。
自分の創作キャラクターと葬儀で出会ったこと、日常でも楽しく会話していること、そんなことを友達に話したら
「それは、見えちゃヤバいヤツだよ」
と、言われ精神科に行きました。
結局の所、私は母の死が引き金で統合失調症という病気に罹り、
今風紀くんが見えていたものは病気の症状の幻覚と幻聴ということでした。
実は母の死後、過呼吸や自傷行為や突然泣き出す、突然大声をあげる等してしまっていたので、病名を言われたときホッとしました。
でも、ホッとしたのはつかの間、薬を飲まなきゃ治らない病気らしく、薬を飲むイコール、病気の症状だった風紀くんの幻覚も消えてしまうらしく。
病院から帰った後は風紀くんとのお別れが寂しくわんわん泣きました。
そんなとき風紀くんは言ったんです。
「薬飲んで下さい。また、きっと会えます。」
泣きながら薬を飲んだことを覚えています。
次の日にはもう、風紀くんの姿は在りませんでした。